【マッドマックス】は記事に”深み”を出すための”視点”について教えてくれる

『マッドマックス 怒りのデスロード』

※多少映画のネタバレも含みますので、ネタバレが嫌だという人はご注意ください。

 

こんにちは、哲也です。

 

ブログで記事を書くときに必要な要素である”深み”について、考えたことがあるでしょうか?

 

この人の記事はタメになるとか、こんな考え方もあるのかと驚いたりとか、、、

そのような記事を見ると、思わず「深いな~」と感心してしまいます。

 

記事に深みが出るのは何故かと考えたときに、一つの答えにたどり着きました。それは『視点』という要素です。

 

視点が変われば見方が変わる。見方が変われば受け取る情報が変わる。受け取る情報が変わることで、人が思いつかないことを考えられるようになる。そう思ったわけです。

 

ただ単に『視点』を変えるといっても、少し想像できないかもしれません。そこで『視点』を学ぶために最も適していると思うのが『マッドマックス 怒りのデスロード』という映画です。(単に僕が好きなだけではないですよ笑)

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『え?マッドマックス?いかにも頭つかわないような映画じゃん』

と思うかもしれませんが、実はこの映画から学べることはメチャクチャ多いです。

 

というか、映画から学べることは本当に多くて、マッドマックス以外にも学びになる映画は多くあります。

 

しかし、一番分かりやすく説明できるのがマッドマックスだと感じたので、この映画の内容に沿って、今回のテーマである『視点』について書いてきます。

マッドマックスって何?

マッドマックスを参考にして視点について書いていく前に、そもそもマッドマックスって何?っていう方もいると思います。

 

マッドマックスとは、30年以上前から続いているシリーズのオーストラリアの映画です。核戦争後という設定で、放射能で汚染された荒廃とした世界での物語を描いています。

 

マッドマックスといえば、北斗の拳に多大な影響を与えたことで有名ですね。

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北斗の拳 – Wikipedia

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マッドマックス2 – Wikipedia

視点が変われば見方が変わる

視点が変われば見方が変わるということを説明していきましょう。

 

『マッドマックス怒りのデスロード』では、善悪の対比が分かりやすい構造になっています。主人公マックスともう一人の女主人公フェリオサ達が、敵側のボスイモータンジョーの猛追から逃げるという話です。

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マックスとフェリオサ

マックスは、敵側に輸血用員として捕まってしまいます。その後、フェリオサがイモータンジョーの花嫁達を連れて逃亡したことが判明し、敵側が総動員で花嫁を取り戻そうとします。マックスは、敵側の兵士ウォーボーイズの輸血袋として車に括り付けれられるのですが、砂嵐に巻き込まれてしまったことで、フェリオサ達と遭遇することになる。

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イモータンジョーとウォーボーイズたち

逃亡した花嫁たちは、イモータンジョーの子産み女として隔離された生活を送っていました。しかし彼女たちは自由を求め、元子産み女で敵側の隊長であるフェリオサと共に逃げ出したのです。そこで、一時的な仲間としてともにマックスとフェリオサ達はともに行動することになり、、、とこんな感じでストーリーが進んでいきます。

 

まあ、普通に見れば善が主人公マックスたち、悪が敵側イモータンジョー(以下ジョーと略す)たちになるじゃないですか。ですが、あえてそれぞれの視点で考えてみると(見方を変えると)、受け取る情報も変わってきます。

見方が変われば受け取る情報が変わる

主人公側の視点

オーソドックスに主人公たちの視点で考えてみましょう。

 

主人公マックスは、何も悪いことをしていないのに、敵側の巡回兵士たちに捕まっています。

フェリオサは子供の時に敵側に捉えられて、その後子産み女にされるのですが、ジョーの逆鱗に触れてしまい片手を切り落とされます。

花嫁たちも、子産み女としてジョーによって隔離され子供を孕まされる(た)状況で、決して本人が望んだものではない。

 

主人公視点から見ると、明らかに被害者じゃないですか。それぞれが敵側によって何らかの危害を受けているわけですから。

 

また、敵側の拠点近くに住む人々にとっても、敵側は暴君でしかないんですよ。水はわずかしか与えられず、ジョーや兵士達だけが、まともな生活を送っています。

 

さらにジョーは、兵士を洗脳するために自身を神として崇めさせており、死ぬことで英雄の館と呼ばれる、天国的なところに行くことが出来ると信じさせています。そのためウォーボーイズたちは、ジョーのためであれば死ぬこともいとわない。

 

この時点で、普通は敵側=悪という風にとらえると思うんですよね。

でも、敵側の視点で考えてみると、どうなるでしょうか?

敵側の視点

ジョーが本当にただの暴君であったかというと、そうとは思えません。

ある見方をすれば、実はそれほどおかしな行動をしているわけでもないように感じるんですよね。

 

例えばジョーが身近な人間を守るために、その他すべてを切り捨てていると考えてみましょう。

 

ウォーボーイズたちは、実は放射能に体中を汚染されており、先が長くはない運命にあります。(ホントにこういう設定です)そして、常時輸血が必要になるほど、体に問題を抱えている。そのため、ジョーが周囲にいる健康的な人間を捕えさせて、ウォーボーイズたちに足りない血を与えています。

 

また、宗教で洗脳するのが悪だと思うかもしれませんが、映画の世界では決してそうとは言い切れません。核戦争後の世界で、先に希望なんてものはない。生き残りをかけて殺戮が繰り返される世界です。

 

そんな中で、生きる希望を与えることが本当に悪なのか。死への不安を取り除くのが本当に悪なのか。決して悪とは言い切れませんよね。

 

さらに、映画の最後で主人公たちは敵側の殲滅、拠点である砦を奪うことに成功し周囲の住民に水を平等に与えます。いいことだと思うじゃないですか。

ですが、水にだって限りがあるかもしれません。いつまでも湧いてくるとは限らないからこそ、ジョーは自分に近い人間にしか水を与えず、他の住民には最低限以下の水しか与えなかったとしたら、、、

 

非情に見えて、実は身近な人だけでも守ろうとした、と考えられなくもないです。

 

他にも、子産み女は結構贅沢な暮らしをしていたとか、ジョーは自分の女には甘いとか、という描写があります。

こうして視点を変えて見たときに、敵側=悪というのが安直であると思えませんか?

 

意外とまともかも、、、と思いますよね。

これが見方を変えれば、受け取る情報が変わるということです。

僕らはほんの一部分しか情報を受け取っていない

僕らが普段受け取る情報というのは、物事のほんの一部分だけです。そして、ほとんどの人が同じような視点で見ています。

 

多くの人が同じ視点、もしくは片側だけの偏った視点でしか見ていないからこそ、複数の視点を持っている人の情報が深く感じるんです。

 

視点を増やすには、普段からものの見方を変える癖をつけなければいけません。CMなどの広告であったら、普通に受け取るだけではただの商品の宣伝です。しかし、CMを仕掛ける側から見れば、その企業の戦略が見えてくるとは思いませんか?

 

ビジネスにおいても、ブログなどの情報発信においても、視点を変えるというのは超重要な要素であることが分かったかと思います。

 

僕自身もまだまだ視点を増やす練習中ですが、自分なりの考えをまとめておこうと今回の記事を書きました。

 

深いと思われるような情報発信ができるように、どんどん視点を増やしていきましょう。